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治承4年(1180)

入道源三位頼政卿は平相国禅門〔清盛〕を討ち滅ぼすべく、日頃より準備を進めていた。しかし、頼政卿個人の計略で以って宿願を遂げることは難しいと判断し、 その日の夜、子息である伊豆守仲綱らを引き連れ、密かに後白河院の第二皇子(以仁王)の坐す三条高倉御所に参じた。
頼政卿は、前右兵衛佐頼朝以下の源氏たちに対して平家を討伐させ、天下を執政なさるべきことを以仁王に進言した。
よって以仁王は、散位宗信に命じて令旨を下された。丁度、陸奥十郎義盛〔廷尉為義の末子〕が在京していたので、この令旨を持たせ、まずは東国の前右兵衛佐頼朝に通達し、後にその他の源氏へ通達するよう仰せ含められた。
義盛は八条院蔵人に命ぜられた〔名を行家と改めた〕。